老障介護の問題をなくしたい

8050問題, 老障介護, 親なきあと

家庭の事情により、高齢者が高齢者の介護をせざるを得ない状況は「老老介護」と呼ばれています。先が見えない状況の中で、家族共倒れになったり、介護疲れによる心中事件があったりと、大きな社会問題になっています。

そして、年老いた親が障害のある子の面倒を見ている状況について、最近は「老障介護」という言葉が使われることがあります。あるいは典型的な例として、親の年齢が80代で子どもが50代ということで「8050問題」とも呼ばれます。こちらも非常に深刻な問題です。

親の立場としては、障害のある子には、自分がいなくなったあとの生活の場をできれば早めに確保してあげたいと考えているでしょう。自分が元気なうちに見つけられればよいのですが、現実には適切な場所が身近にないなどで、結局自分が年をとり、衰えていっても子どもを手元に置いたままにしてしまうというケースも多いのです。そしてなかには、先の見通しを立てられずに、自分が死ぬときにはこの子もいっしょに、といった悲しい事件も起きています。

数年前にあった事件です。80代後半のお母さんと50歳前後の障害のある息子さんがいました。息子さんのほうはグループホームに入っていたのですが、そこでちょっとしたトラブルがあり、そのホームから出たいと言い出し、お母さんも「帰っておいで」と言って、2人家族に戻ったそうです。

この母子はご近所とのつき合いがほとんどなかったようで、時がたつうちにこの2人のことを知る人が周りにいなくなってしまいました。それでもしばらくは大きな問題はなかったようですが、だんだん経済的に逼迫し、食べるものにも苦労する状態になりました。そして息子さんのほうが先に体が衰弱し、苦しむ子を見るに見かねて、母親が子どもを自ら手にかけたのです。

くり返しますが、お母さんは80代後半です。

その話を聞いて、何ともやりきれない気持ち、周囲はどうにかしてやれなかったのかという気持ちに強くおそわれました。しかし、2人のことを誰も知らなければ、手の差し伸べようがないという事実にも気づかされました。

高齢の親と障害のある子どもの家族、「老障介護」あるいは「8050問題」ともいわれるこのテーマは、まさに「親なきあと」の課題です。そして、今の日本には、「こうすれば親なきあと問題の心配はなくなります」といった理想的な社会資源は、残念ながらありません。

ただし、周囲や行政など社会との接点さえあれば、ほんとうに困ったときには救ってもらえるぐらいの体制は、この日本にはあります。それは福祉に携わっているかたに聞けば、みなさん必ず保証してくれます。裏を返せば、接点がなく、誰も困っていることに気がつかない状態であれば、救おうにも救えないということなのです。

「親なきあと」の準備について、最終的な結論はこの社会との接点をたくさんつくりましょう、ということです。その接点さえあれば、この親子にも何らかの支援の手が差し伸べられたはずなのです。

とはいえ、あまり厳しい状況になってしまってからでは、支援の選択肢は非常に限られます。最低限の保障はあるとしても、豊かで穏やかな生活を送ることはむずかしくなるかもしれません。

法制度や福祉サービスはどんどん変化し続けています。安心で安定した生活を送るためには、新しい知識や情報をできるだけ得ておく必要があります。「親あるあいだ」の準備をしっかりしておくことで、将来の子どもの生活には、いくつかの選択肢が生まれ、より質の高い生活を選ぶことができると思います。

Posted by disability-support-info