寝たきりの障害者は「不幸な存在」なのか

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重度の障害者である坂川亜由未さん
重度の障害者である坂川亜由未さん。言葉は話せないが、表情は豊かで雄弁だ。

2016年7月、神奈川県の知的障害者福祉施設で戦後最悪の殺人事件が起きた。19人を殺害した植松聖被告は「障害者は不幸を作ることしかできない」と供述した。障害者とその家族は不幸な存在なのか。17年9月のNHKスペシャル「亜由未が教えてくれたこと 障害者の妹を撮る」では、事件の犠牲者と同じように重度の障害者である坂川亜由未さんと家族の暮らしを、実兄のディレクターが描いた。番組の書籍化にあわせて、NHK出版編集部による特別寄稿をお届けしよう--。

■なぜ植松被告を断罪するだけではダメなのか

2016年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、死者19人、重軽傷26人という戦後最悪の殺傷事件が起きた。事件を起こした植松聖(さとし)被告(施設の元職員)は、犯行前に衆議院議長に宛てて「障害者は不幸を作ることしかできません」、「障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」と手紙を書いていた。

事件後メディアがこの事実を報道すると、植松被告に批判的な意見ばかりではなく、犯行への賛同や、障害者の存在価値を疑問視する声も少なからず聞こえてきた。ネット上の掲示版などのほか、NHKが設けたサイトにも、「私も犯人側に近い考え方です」などと、犯行の背景にある思考に同調する書き込みが複数寄せられた。これは、特殊な考え方をする一部の人々が極論を書きこんだだけ、と片付けられるものだろうか。

植松被告は、「意思疎通のできない障害者を養うほど、今の日本に経済的な余裕はない」とも主張している。実は、このような考え方は新しいものではない。しばしば指摘されるように、ナチス・ドイツを率いたヒトラーは、施設や医療機関で暮らす障害者や精神疾患の患者などを殺害する「安楽死計画」を実行に移した。障害者や精神疾患の患者たちを「社会にとって価値がない」と見なし、20万人以上の命を奪った。

■「役に立たない者を排除する」という歪んだ考え

植松被告が意識していたかどうかは別として、こうした考え方の源流を探っていくと、19世紀後半から20世紀にかけて勃興した「優生学」にたどり着く。遺伝学的な改良によって人為的な淘汰を推し進め、人類の肉体的・精神的な進歩を促そうとする思想である。

命に優劣をつけ、「役に立たない者を排除する」ことが社会の進歩を促すという歪んだ考えは、時代や国家の枠組みを超えて、しばしば人間社会の表舞台にその姿を現すことがある。だとすれば、植松被告を断罪したとしても根本的な解決にはならないということだ。その背後に潜む集合的な意識をあぶり出し、自分たち自身の問題として考えなければならない。

■表面化し始めた「排除の論理」

もともと私たちの社会は競争原理に裏付けられた一種の排除の論理を内包している。「成果主義」「能力主義」「経済効率優先」「費用対効果」、さらには「自己責任」論まで。生き残り競争を前提とした企業社会のなかで形作られた考え方は、濃淡はあるものの広くビジネスパーソンに共有されている。

問題は、直接ビジネスとは関係のない、人々の生き方や日々の暮らしの場面にも同じ思考法を当てはめようとする人々が増えているのではないか、という疑念をぬぐえないという点である。

自分で暮らしを成り立たせる能力を完全に奪われている重度障害者。彼らの多くは誰かの介助なしには生きていけない。植松被告は事件後2年を経てなお、接見した記者たちに「意思疎通のできない人間は生きる価値がない」などと同じ主張を繰り返している。

だが、人間の「価値」とは何か。ある人間が社会のなかで何かの役に立つとか価値があるということに関して、誰がどのような基準で判断を下すのだろう。そもそも、そのような基準を設けることなどできるのだろうか。

■あなた自身が「明日、障害者になる」可能性を考える

「意思疎通のできない障害者を養うほど、今の日本に経済的な余裕はない」と植松被告は繰り返す。だが、この考えを推し進めると、その先には空恐ろしい未来が待ち受けている。「意思疎通のできない障害者」の部分は、いとも簡単に別の「社会的弱者」に置き換えられるからだ。

そして、人は誰でも知力財力の有無にかかわらず、明日にでも「社会的弱者」になる可能性を秘めている。「生産性のない者」になるリスクからまったく自由な人間などいない。「意思疎通のできない障害者を排除せよ」と主張する人間は、自分が社会的弱者になる可能性を想像できているのだろうか。

■障害者と健常者の垣根を低くする試み

障害をもって生きることは、自分の身体が思いどおりにならないという困難だけでなく、生活のあらゆる局面で健常者の社会から排除される状況に立ち向かうことでもある。

例えば、重い障害をもつ子供が学齢になると、特別支援学校が用意されている。重度の障害をもつ子供への対応は、専門の体制を敷いた学校でないと難しいと判断されているからだ。これは、他の子供と一緒には学べないことを意味する。成人してからも状況は変わらない。

そして、たとえつかの間排除を押しのけることができたとしても、健常者を基準に作られた社会の仕組みに沿って暮らす不便が待ち受けている。脚が不自由な人、目が見えない人、色覚障害の人、脳性まひの人、それぞれの障害にはそれぞれの困難があるが、健常者基準の社会の仕組みから阻害されるという点では、同じである。

そうした困難を抱えつつ、24年間、社会との接点を模索しながら生きてきた家族がある。

坂川亜由未さんと、その家族だ。17年9月放送のNHKスペシャル「亜由未が教えてくれたこと」では、亜由未さんの実兄であるNHKのディレクターが、自身の家族の暮らしぶりを紹介した。今回、NHK出版では、この番組を書籍化した。

■歩くことができず、寝返りも打てず、言葉も話せない

亜由未さんは、歩くことができず、寝返りも打てない。言葉も話せない。24時間365日、介助が不可欠な重症心身障害者である。亜由未さんは言葉を話せないが、声や表情、わずかな身ぶりなどで自分の意思を伝える。言語以外のコミュニケーション手段を駆使して、周囲の人たちと交わっている。

坂川亜由未さんは1993年生まれ。生後4日目に先天性の心疾患のため手術を受け、そのときに負った脳の傷が原因で障害を抱えた。
亜由未さんの姿を目にした子供の多くは、その姿に驚き、思わず凝視するのだという。初めはおそるおそる、けれど次第に興味をもって近づいてきて、慣れると「あゆちゃーん」と声をかけるようになる。いつも視界のなかに亜由未さんがいることで、彼らのなかで障害者と健常者という区分けがなくなるのだろう。

亜由未さんの母、智恵さんは「日々の暮らしのなかで、身近に障害者が当たり前のようにいることが重要だ」と言う。そのような状況を作れれば、互いの心の垣根を低くすることができる。

どんな人でも、明日、障害者になるかもしれない。亜由未さんと家族は、健常者と障害者の間に立ちはだかる“壁”を、少しずつ乗り越えてきた。そこには障害の有無にかかわらず、誰もが生き生きと暮らせる社会へのヒントがちりばめられている。

ソース元/BIGLOBEニュースより

Posted by disability-support-info