K-1戦士になった全ろうの元高校球児・郷州征宜 消えなかった甲子園での不完全燃焼の思い

いじめ, 格闘技, 障がい者, 障害者, 高校野球

深紅の大優勝旗が初めて津軽海峡を渡った2004年夏の甲子園。優勝校・駒大苫小牧との準決勝で代打適時打を記録した“全ろうの球児”は、その後活躍の場を格闘技に移して昨年、念願のタイトルを獲得した。耳の聞こえないK-1ファイター・郷州征宜が高校球児だったころのプロローグと、今なお挑戦を続ける理由を明かした。

「小さいころは多少聞こえてたのかもしれませんが、物心ついたときにはもう耳は聞こえなかった。それが当たり前の世界で生きてきたので、ハンディと言われても自分ではピンとこないですね」

神奈川で3人兄弟の末っ子として生まれた郷州だが、家族で耳が聞こえるのは一番上の兄だけ。両親の方針で小学校から普通学校に通ったが、幼いころはいじめられることも多かった。

「耳が聞こえないから大声で悪口を言われてるのを後から知ったり。つらかったですね。母に『なんで自分だけ聞こえないんだ』と強く当たってしまったこともあって、弱い自分を変えたかった」

兄たちにならい野球を始めると、持ち前の運動神経でたちまち頭角を現す。中学の強豪シニアでは日本代表として世界大会にも出場。体も大きくなり、いつしかいじめられることはなくなっていた。

「外野手は打球音である程度の飛距離や落下地点を予測するらしく、そういう意味では不利だったのかも。でも、もとから聞こえなかったので気にしたことはなかった。周りとの声かけができないので、自分が声を上げたら任せると認めてもらったり。周囲の理解が大きかったですね」

高校では地元神奈川を離れ、山梨の強豪・東海大甲府に進学。実力でレギュラーをつかみ、最後の夏に念願の甲子園出場を決める。だが、県大会での不振から聖地ではレギュラーを外された。

「聞こえないけど出してあげようなんて特別扱いは一切なかった。憧れの甲子園なんで、当時は特別扱いしてほしかったですけどね(笑い)。今思えば、あそこで外されたからこそ強くなれたと思う」

聖地では代打で2打席に立ち適時打も放った。しかし、レギュラーを外れたことで不完全燃焼の思いは消えなかった。高校卒業後、地元の先輩に誘われキックボクシングに出会う。

「仕事もあったので、しばらくは趣味程度だった」というが、当時同じジムだった城戸康裕選手が08年に「K-1MAX日本代表決定トーナメント」で優勝。その姿を見て、くすぶっていた思いが再燃する。

本格的に練習に打ち込むと、11年にプロデビュー。デビュー戦から10戦を連勝で飾った。

「野球のときもそうでしたけど、初めから聞こえないので何が不利になるかはわからない。ゴングもセコンドの声も、女性の黄色い声援も聞こえません(笑い)。でも、ヤジも聞こえないし、逆に集中できることもある。ハンディと捉えるかメリットと考えるかは自分次第なんです」

昨年はKrushスーパーフェザー級で初タイトルを獲得。今年6月の防衛戦で判定の末に惜しくも敗れたが、ベルト奪還が今の目標だ。将来的には自らジムを開き、耳の聞こえない人でもチャレンジできる場を作りたいと夢を語る。

「小さいころは耳が聞こえないことで、あきらめることも多かった。マックが好きだったのに、注文で持ち帰りやセットを聞かれてもわからない。それが嫌で自分から行動範囲を狭めていました。でも、チャレンジしてみれば野球もキックボクシングもできるんです。そう思ってくれる子供が一人でもいるなら、できるところまで頑張るしかない」

野球、そしてキックボクシングを通じて広がった可能性。声援は聞こえずとも、そのファイトは多くのファンの心に響いている。

☆ごうしゅう・まさのぶ 1986年4月10日生まれ、神奈川県秦野市出身。小学校3年のとき、渋沢スポーツ少年団で投手として野球を始める。中学では秦野リトルシニアで外野手。東海大甲府では3年夏に甲子園4強。高校卒業後、一般企業で働くかたわらキックボクシングを始める。2011年にアマチュア全日本トーナメント65キロ級で優勝し、同年プロデビュー。12年、RIZEルーキーカップスーパーフェザー級で優勝。16年からK-1に参戦、17年にKrushスーパーフェザー級で初タイトルを獲得。プロ格闘家としての通算戦績は32戦24勝(7KO)8敗。K-1ジム総本部所属。172センチ、60キロ。右投げ右打ち。

ソース元/gooニュースより

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